藤田直の起業ストーリー
「ありがとう」がお金に変わる仕事ってすごいなと思った
▼藤田
福祉・介護業界に飛び込んだのは、27歳の時でした。
当時、介護保険制度が始まってまもない頃で、社会福祉士という仕事があることを知ったんです。「人の相談にのることが、お仕事になる??すごいな!」って思って。
ある老人ホームの職員として採用してもらったんですけど、初日から道に迷って遅刻しました。(笑)
職場では、ご飯を食べさせては寝かせて、ご飯を食べさせては寝かせてっていうのを繰り返してて、オムツを変えたりしてたんですけど、「俺はもっと相談に乗って、生活をもっと良くしてあげたいねん」って思ってたんですよね。
「相談員にはすぐなれない」って言われるんですけど、上司や職場の仲間と深いコミュニケーションをとることを大切にしていると、比較的早く相談員になれたんです。
Q今、社長の藤田さんにもそういう時代があったんですね。
▼藤田
QOLの向上です。
もちろん、生きていくことに必要な食べる、寝る、清潔を保持するなどは老人ホームとして必要なサービスではあります。
しかしながら、人が生きていく中で大切なことは、笑ったり、人と出会ったり、楽しかったり、そんなことが必要なことだと思うんです。
日々の業務は、必要最低限のことをしていましたが、利用者さんが求めていることは、笑ったり、人と出会ったり、楽しかったりっていうことだから、ぼくはQOLの向上に注力しました。
地域交流が必要だと言われているけど、なかなか外出できていない利用者さんも多かったんですね。生きることはできていても、充実した毎日をおくれていないことはとても大きな課題だと感じて、楽しめることを提案して実現していきました。
Qそんな藤田社長の、大事にしている価値観って何ですか?
▼藤田
「社会的に力が弱い人がバカを見る世界が許せない」ですね。
Q何かそういうふうに思うようになった出来事があったんですか?
▼藤田
小さい頃からの記憶から考えてみると・・・5歳の頃からだったかな・・・。
父からよく、「直!人はなんで生まれてきたと思う?生まれた意味は、とらえ方で変わるんやぞ!」ってしょっちゅう言ってきて、、、その後、ススッとパチンコに行ってる父でした。(笑)
そんな父ですが、生きていく上での「問い」を投げかけ続けてくれたのは大きかったですね。
Q小さい頃から生きる意味とか考える習慣があったんですね。「社会的に力が弱い人がバカを見る世界が許せない」って例えばどういうことですか?
▼藤田
小学生の時に、あるクラスメイトが「臭い」ってイジメられてたんですよ。
でも、その子は親から育児放棄されててね、その子は悪くないじゃないですか?
その頃、ぼくは体型もヒョロヒョロやったし、ケンカも弱かったけど、その子をかばって「何でそんなことすんねん?誰も得せぇへんやん」って言ったらぼくもイジメられたんですけど、だんだん仲間が増えていったんですよ。
そしたらイジメる側が立場が悪くなって、イジメは終わったんです。
立場が悪くなったイジメっ子が、少しずつ変わっていって・・・イジメられてた子と、イジメてた子とぼくで遊ぶようになっていくのが嬉しかったですね。ぼく抜きでも2人が遊ぶくらいになったし。
「意地になってやってたらええ事あるんやな」って思ったし、今にも通じてる経験ですね。
Q他に意地になってできた成功体験ってありますか?
▼藤田
一人だけで何かを続けるっていうのが苦手だったんですよ。
勉強もスポーツも、ギターも習い事も全部途中で投げて何をやっても続かなかったんですけど、自分の中の大きな成功体験としては、、、高校の文化祭ですね。
文化祭といえば、バンドの演奏ってあるじゃないですか?
高校に入って、バンドを始めて、ギター・ボーカルをしてたんですけど、先生から「うちの学校の文化祭ではロックバンドは出さない、風紀が乱れるから」って言われたんですよね。
「なんでやねん!」って思って、このルール変えたいって思ったので生徒会長に立候補して、仲間を増やしました。
「みんなで変えていこう!」って動いてやってたら、文化祭でロックバンドの演奏ができるようになったんですよ。周りを巻き込んで変えていくことは、諦めなかったんですね。
「みんなの話をしっかり聞いて、反対や賛成の人、1人1人の考えと向き合って、自分の想いを伝え続けることが出来たら物事やルールは変えられる」と思えた経験ですね。
・・・
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